今回は「間」と「魔」のお話をします。
「間」は、定期的な「間」、英語で言うと ”テンポ” のイメージで、一定のリズムの「間」になります。例えば休憩とか。働いていると比較的休憩時間が決まっているんですね。「お昼休みは何時から何時まで」とか、工場勤務とかだと、「午前中に15分休み」とか、「午後15分休み」とか決められているので、比較的規則正しくあるものが「間」(あいだ)と言われています。
一方で、コミュニケーションとか話しているちょっとワンテンポ止まったりとか、あえてずらしみたりとか、スポーツに置いてのフェイントっていうのは「魔」という風に呼ばれていて、「"ま"を取る」 というのはどっちの漢字を使ってもいいんですけど、基本的にイレギュラーなストップした空間みたいなのを「魔」と言ったりします。
今回何が言いたいかというと、比較的重要なのは、音楽の中でもテンポが大事と言われていますが、そのテンポの中でもずれを起こしていたりして、そう言うずれと言うのは別の言葉で言うと ”車のハンドルの遊び” みたいなもので、その余裕が無いと物事は詰まってしまうんですね。音楽ではテンポが大事だけど、同じ楽曲でも、ライブだと延ばしてみたり早くしてみたりする臨場感が出る。
話を戻して、スケジュールの中でも 休憩を入れたりするんですけど「ちゃんとこの時間休もう!」って思う時間は、「間」として計画された休みなのでいいのですが、実は人間ってこの計画された「間」の休みだけでは、心が持たないということがあります。
「間」は強制的な休憩って感じですよね。そうではなくて、タイミングとして自分が「集中切れたな」とか、「休みたいな」って思ったときに、ホッと一息つけるような、仕事の中では連続性の無い、急な、突然の休みみたいなのを「魔」を使った「魔を取る」という言い方をしています。
なんでこの話をしたかというと、私の体験をふと思い出したからです。セミナーのときにバーって話し続けて「はい、ここから10分休憩です」とか言っても、その休憩を有効に使えない。ずっと席に座ったままだったりする。実は聞いている側ってすごく集中が持たなかったり、「今なんの話をしているんだっけ」って言う風になりがちだったり、「何が言いたいの?」みたいに、大事なところが伝わらないことがあります。逆に「今せっかく集中できたのに」と言う時に休憩が入ることもある。
今回の「間」と「魔」という話も『千のプラトー』という哲学書の中で書かれていることなんですけど、そういったことを考えているうちに、言いたいことがあったときにあえて黙ると聞いている方々も「なんだ?」って顔を上げてくれることに気付いたんですね。その時に大事なことを言うとか、あえてリズムを崩してあげることが実は集中力をあげることや言いたいことを強調する小さなテクニックなんだと思いました。
まとめ
計画的な「間」だけでなく、イレギュラーな「魔」を操ると
コミュニケーションにメリハリがうまれる
関連リンク
「何か始めれば記念日」
株式会社あきた総研
代表取締役 須田紘彬
キャリアメンタリスト地域コーディネーター
就職相談/人材確保/働き方改革/ダイバーシティ/選択肢/決断
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