ただ、自分が新社会人になった頃には、「人見知りを治さなきゃ」ってずっと思っていました。
非常にしんどかったし、今も電話はすごく苦手で嫌なんですけれど、それは人見知りからきていると思っています。
社会人になってから上司から、
「人見知りはもう生まれ持ったものだから、治らない」
「だから、治そうとするのをやめろ」
と言われて、
「ああ、治さなくていいんだ」
みたいに、ちょっと気が楽になったときがありまして。
そのときに、
「じゃあ、どうすればいいんですか?」って聞いたら、
「人見知りのままでもいいし、緊張したままでもいいから、緊張しているように相手に見せなきゃいいんだ」って。
「じゃあどうしたらいいんですか?」って聞いたら、
「堂々としろ」
「その、堂々とするのができないんですけれど」
みたいな会話をしながら、
でも、人見知りだから自分の性格を治すだとか、
緊張しないようにしなくちゃ、
というようなことをしなくてもいいんだというのは、
非常に気が楽になりました。
大人になって、人前で喋ることも増えて。
独立してからなんですけれど、「全然人見知りじゃないですよね」って言われるのが、1回嫌になった時期がありました。
「いや、俺は人見知りなのに、すごく頑張って人見知りじゃなく見せているし」みたいなことで、人見知りじゃないと言われるのが嫌だったんです。
またそのときも、昔の上司に「最近こう言われるんですよね」って言ったら、
「それはもうスキルがついたって認められた証拠だから、喜べ」みたいに言われて。
「ああ、たしかにそうか」と。
見えないと言われるということは、
認められているんだ、
みたいなことがわかって、
それがもう、今はすごく嬉しいので、
いろんなところに行って、
「絶対人見知りって嘘でしょ?」
とかって言われれば言われるほど、
「よっしゃ、スキルがついたぜ」
というふうに思ったりしています。
人見知りで営業をしたくないとか、就職活動の面接が苦手とかっていう人たちも、
もう「人見知りです」ってカミングアウトしながら、
「緊張しています」ってことを伝えたほうがいいだろうし。
人見知りであることって、別にただの1つの特性でしかないから。
「大事なのは、そのときに一生懸命ものごとを伝えることかな?」
ということも思ったりします。
人見知りって、逆に人の気持ちとかもわかるし、配慮とか、空気も読めるっていう証拠だよね、とかって自分で思いながら、人見知りを誇りに思っていこうと思いました。
Q:私も人見知りなんですけれど、人見知りってなんですかね?
なんで人見知りなんでしょうね。わからないですね…。
「人見知りは日本人しかしない」という説もあるんですよね。
日本人だけというか、アジア圏というか。
でも、初めて会う人たちに対して抵抗感があるとかっていうのは、
別にどこの国の人だってあるだろうな、とは思います。
ということは、
欧米文化の「自分を主張しなければいけない」っていう文化と、
儒教的なアジアの「和を尊重しなきゃいけない」っていう文化の違いに、
私は何かあるんじゃないかなと思っています。
そこから、人見知りであるということって、
一種の空気を読める人という指標なんじゃないかな、
という結論が自分の中で導き出されたという。
欧米文化との対比の中で、そういう気がなんとなくする、という話です。
根拠はないですけれど。
まとめ
人見知りは1つの特性であって治さなくてもいいもの
一生懸命ものごとを伝えることが大切
人見知りがバレなくなったら認められている証拠
関連リンク
「何か始めれば記念日」
株式会社あきた総研
代表取締役 須田紘彬
キャリアメンタリスト 地域コーディネーター
就職相談/人材確保/働き方改革/ダイバーシティ/選択肢/決断
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