ワークライフバランスという言葉がもう悪いんですよね。
ワークとライフのバランスをとろうということはシーソーと同じで、
真ん中に支点があって、右か左かどっちかに傾くのでバランスをとるという考えの前提にあります。
だから、どうしてもワークとライフというのが逆向きで、
どっちかをとれば、どっちかがとれないよ、
というような考え方になってしまっている言葉が、“ワークライフバランス”なんです。
でも、そうじゃなくて「もう公私混同しましょう」っていうのが、本来のワークライフバランスです。
両方を高めていくということがワークライフバランスなのに、
なぜかどっちかが足を引っ張るみたいな考え方が非常に多いんですね。
両方を向上させていくという意味では、公私混同をする、と。
具体的にいうと、
接待ってそうだと思うんです。
仕事の経験や人脈を活かして飲みに行ったり、サービスの割引をしてもらったり、
プライベートで会ったような人たちに仕事の取引が始まったり
というのがあると思います。
地方で働くって、公私混同できる必要があります。大工さんや水道などの設備が壊れた時に、就業時間外でも家を直してもらったり、地域行事やPTAなどの行事を本業で手伝うということが多々あります。
もしもワークとライフを完璧に分けるんだったら、
家でどんなに嫌なことがあっても、会社ではそんな気分を一瞬も出さないでください、
という話になります。
または、会社の仕事で嫌なことがあったら、家庭にはそれを持ち込まないで、
家ではニコニコしていてください、ということ。
そんなのは人間として不可能ですよね。
ワークとライフを対立させてしまえば、
仕事の能力みたいなものが気分で上下してしまう人間であればあるほど、
“ワークライフバランス”はそもそも無理な考え方です。
人間って感情的ですよね。
なので例えば、
何かプライベートの時間で映画を観たりだとか、
本を読んだりしたような知識を仕事に活かしたり、
仕事で会ったような人たちと、プライベートな遊びの場を設けたり、
DIYをやりたいといったときに、大工さんに物を借りるとか、
そんな小さなことでもいいんですけれど、
本来は公私混同と言われることをしていくほうが、
本来のワークライフバランスとしては、私はいいんじゃないかな?と思っています。
Q:例えば従業員の立場からなんですけれど、それって、「全てを仕事に繋げなさい」と言っているようにも聞こえたりしていて反発を覚えるというか、休日とかも、「休みは休みで切り分けてもいいじゃないか」という意見もあると思うのですが。
たしかに、それもあると思いますし、
そういうふうな使い方をしているのが、ワタミだったんですよね。
「空いている時間で、この本を読んで感想文を提出しろ」、
「ボランティアに参加しなさい」っていうのが強制だったから、
そういう活動というのは、会社が管理してしまえば、
やっぱり労働・研修という扱いになるんですけれど、
そういう活動を、まずは会社として言うわけではなくて、
1人1人が、「この経験が何に繋がるんだろう?」という、
自分自身のキャリアステップとして捉えているのかというのは、
1人1人の人生にとっては、重要だと私は思っています。
じゃあ、それの逆の経営者側の立場からすると、
「従業員が毎月月給分の確実な利益を会社に提供しているか?」という話にもなります。
これは会社として、成果報酬型の給与になるのか、
それとも、その人がまだ利益を生み出せなかったとしても、
将来の利益を見込んで給料の先払いをしているのか、という視点で見ることもできます。
そういう中で、いわゆる日本のような終身雇用と定額給与で、
基本的には日本はクビを切られにくい環境で
「守られた労働者の立場の義務と権利というのは、どこからどこまでなんだろうな?」
という価値観は、自分が働く会社の価値観と合わせないと行けません。
最終的に「働き方の価値観が合わない」みたいなことになりうるかもしれないので、
そういう仕事の探し方をしたほうがいいかな、という気がします。
就職のマッチングって、そんな会社方針と自分の求める働き方のマッチングでもあるわけです。
→ 働き方改革については ”働き方改革 あきた総研3つの施策”を参照
まとめ
本来のワークライフバランスとは公私混同である
ワークもライフも両方同時に高めていける
個人レベルからワークライフバランスを意識することで個々の人生を豊かにする
関連リンク
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株式会社あきた総研
代表取締役 須田紘彬 キャリアメンタリスト 地域コーディネーター 就職相談/人材確保/働き方改革/ダイバーシティ/選択肢/決断
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